認識だから過去

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石井によれば、日本は、イギリスの半植民地国家ではなく、従属国家であった。石井は、半植民地国家と従属国家がどう異なるのかを明確にすべきであった。またイギリスは、本当に日本を軍事力により制圧しようとは考えなかったのであろうか。イギリスは、東アジアで、同時に軍事作戦をとるのは得策ではないと考え、1時的に、日本に対して穏健作戦をとったとはいえないのか。芝原拓自、世界史のなかの明治維新、岩波書底、特近代の天皇制造を強制されたことは次の文献参照。欧米列強と日本。(ロ)森嶋通夫、なぜ日本は成功したのかー先進技術と日本的心情へブリタニカ、237頁。近代の天皇制とは、尾藤正英によれば、1868年の明治維新によって成立し、やがて明治22年(9年)に発布された大日本帝国憲法(明治憲法)で制度化された、近代日本の国家体制を指している。この体制は、1945年の敗戦により瓦解した。尾藤正英、江戸時代とは何か、岩波書底、2頁。(日)飯沼2郎、歴史のなかの風土、未来社、235頁。石井孝は、近代史を視る限の明治維新の評価をめぐって(吉川弘文堂、28頁から127頁)で、初代日本駐在英国公使オールコックの大君の都に着目し、オールコックが、日本が革命(政権の変動)と社会革命(封建社会の解体)を同時に遂行し、イギリス的な立憲王政国家に変わっていくことを期待したが、オールコックの後任者バークスは、英国政府の訓令に従い、天皇制官僚政府による上からの改革路線を支持するようになったが、なぜそのような路線変更が生じたのかを問う。